ケンタは転職先に入社して早々、同じ部署の先輩である中村から残業して仕事を手伝ってほしいと頼まれてしまった。
今日は夜から彼女との大切な約束がある…しかしこの職場で早く認められるチャンスだと思ったケンタは、仕事を引き受けることにしたのだった。
そしてオフィスにある自販機へ向かい、iDでペットボトルの水を買い、気持ちをリフレッシュさせてから仕事に打ち込むことにした。
中村とのディスカッションを経て、ようやく資料作成に取り掛かり始めた矢先、突然中村からこう告げられた。
「明日、この資料を持ってプレゼンに行きたいんだ。札幌出張になるんだけど、ついてきてくれない?」
―この人はどうしてこんなに唐突なんだろう?
しかし、大きなチャンスを逃したくないケンタは、断るわけにもいかなかった。
翌朝、ケンタは資料が入ったビジネスバッグとスーツケースを持って空港に向かった。
ちょうど搭乗手続きを済ませたとき、中村からチャットが届いた。
『先に出発してるんだけど、クライアントへのお土産を買ってきてくれない?』
―また、この人は…仕方がないな。
ケンタは軽くため息をつき、空港内のお土産屋へ向かった。
クライアントに喜んでもらえそうなお菓子を見つけると、レジでスマートウォッチを使って会計を済ませた。
出張時はいつもより荷物が多くなるため、ケンタはつくづくiDの決済は便利だなと感心する。会計のたびに鞄から財布を探したり、財布を開いたりする必要もないからだ。
飛行機と電車を乗り継いで札幌へ到着すると、中村と落ち合いクライアントのところへ向かった。
昨夜がんばって資料を作った甲斐もあり、商談はうまくまとまりそうだった。
プレゼン後の中村は機嫌が良く、ケンタを飲みに誘ってきた。
「ご苦労さん。これから一杯飲みにいかない?」
アルコールが入ったせいなのか、中村はこれまでの自分の成績や周囲からの評価を饒舌に語り始めた。
中村は3年ほど前、この会社にヘッドハンティングされて転職してきたと言う。そして入社してすぐに大型案件のコンペに勝ち、それ以降負けなしで、部署だけでなく社内でもトップクラスの営業成績をキープしているそうだ。
―確かに中村さんは仕事ができて頭も切れる人だ。でもちょっと乱暴なところがあるよな…。
ケンタは感心したふりをして話を聞きながらも、どこか腑に落ちないでいた。
ひと通り飲んで食べた中村は、
「あ、悪い、現金ないんだった。あとで返すからさ、ここはよろしく。」
と言って、ケンタに会計を任せて店を出て先に帰ってしまった。
―昨日のランチ代だって返してもらってないのに、また?
ケンタはスマホをかざし、しぶしぶ2人分の会計を済ませてホテルへ戻った。
普段からあまり現金を持ち歩かないケンタだが、出張先でもiDがあれば食事や買い物で困ったことはなかった。
弾丸出張を無事に終えたケンタは、翌日東京のオフィスへ出勤し、仕事を淡々とこなしていった。
少し休憩しようとオフィス近くのコーヒーショップへ足を運ぶと、ばったり中村に出くわした。
挨拶を交わすと、中村がケンタの隣の席に座り、唐突に話を切り出した。
「昨日のクライアント、ケンタに任せようと思うんだ。俺の顔に泥を塗るようなことだけはしないでくれよな?」
いつもなら感情を表に出すことのないケンタだったが、中村の偉そうな言い方やこれまでの仕打ちもあり、ついムッとしてしまった。